東京の目抜き通りを走る

走り続ける人々−その10・・・
“まずは完走、ゆっくりと走ろう。ホノルルを越えたいが・・・”

皆さん

約1年ぶりの“走り続けている人達”への便りではないでしょうか?
2006年11月26日のバンコク7時間21分の結果は、たとえ初めての走りとはいえ厳しい内容でした。

本日の東京マラソンは完走とタイムを目標にして、2007年11月27日のホノルル5時間12分に続く 2回目の挑戦でした。結果はまだ正式なものではありませんが5時間29分です。申告は5時間半で したが1分でも5時間を切るのが自己目標でしたので少し残念な結果として捉えています。練習では 10キロは58分20キロは2時間10分、30キロは2回とも3時間半でした。40キロは昨年11月以来走って いませんが、実はマラソンは30キロから40キロが難関、ここをどう走るかでタイムが決まると言わ れていました。私の10キロラップの記録票を見ると30キロまではほぼ予定通りで走り抜けていまし たが35キロ付近で失速しています。

さて出発の話に戻りますが、疾走は3万人が10通り、すなわち 申告時間で出発ラインのAからJまでのグループ単位で東京都庁周辺のレースコースの道路に並び ます。私はHグループで後方でした。
いよいよ人波が前に歩き始めました。走りが始まると、左側 の都庁正面階段の中ふくに設えた壇上に、石原都知事が紺のマラソンガウンを羽織り笑いながら ランナーに手を振っており、隣に河野洋平日本陸連会長が、これまた笑いながら座ってランナーの 列に手を上げていました。後ろには若い和服の女性2名、その隣は背広の男2名が立っていました。 この舞台の周りは階段で、そこには関係者が白いマラソンガウンを羽織って舞台を取り巻くように 50名くらいが座って小旗を振っていました。青い空には2台のヘリコプターがホバーリングしながら 浮かんでいます。右手にはトラックが止まり荷台後方に設えた大型スクリーンに走るランナーを映 しだしています。世界のマラソントップランナーが北京をかけて、往年の日本の有名マラソン選手 の参加、所謂芸能人やアナウンサー、鈴木宗男衆議院議員、東国原宮城県知事、終日のTV実況、 ニュース放映等、海外の主要マラソンレースでハワイホノルルを完全に重厚さで凌ぐ大会です。さら に170から200万人の沿道の人波、協会の給水、バナナ、パンの給食、トイレ975基、足湯まで至れ り尽くせりでした。感激は新宿歌舞伎町、東京タワー、皇居内堀通り、増上寺、大手町駅ビル街、 日本橋、浅草浅草寺、築地聖路加病院前と、歩くことを許さない銀座4丁目付近の目抜きの交差点、 和光、松屋前往復のコース設定、ここを走り抜けることが許されるのは東京マラソンランナーのみ ではないでしょうか。

もし興味とお時間があれば、私のマラソン位置情報はhttp://tokyo42195.org のBid Number欄に40972 を打ち込んでいただければ、正式ラップと記録が出ます。またゴールに 入るスナップが動画でこの時間帯に入る走者を見ることができます。私は黒い帽子、黒いトレーニン グパンツ、その上にバンコクマラソンの黄色のランニングシャツ、黄色の手袋で走り込んでいます。 なかなか元気なフィニッシュ姿で、大きな外国人ランナーの後ろにいます。まだ順位等はでていません。

今朝の朝日のコラム欄で“ゴールに入って電車にのって家に帰り、テレビでその日のうちに最初の ランナーがテープを切り続々後続の著名人が入ってくる場面をみる”と書いていました。東京だから できることであるという好意的な文章が載っていました。私は、画面に出ないが自分がその後ろを走って いたという、時空を超えた参加の感激を今楽しんでいます。もっとも昨日の走りで銀座4丁目から歌舞伎町、 佃大橋に向かうときの応援が激しく、しかも“ガンバレ”、“ガンバレ”の甲高い連呼には、思わず “頑張って走ってんだョ”、“足が上がりませーん”と追い込まれた情けない状態であったことも確か にありましたが。関係者に加え、路上から一般の見物参加者、男も女も、たくさんの子供達も、手に手に 食料を持って走者に呼びかけていました。30キロを過ぎた頃から、チョコレートと饅頭には我慢できなくなり 知らず知らず口に入っていました。
走り終わってJR有明駅に向かう途中、ふっとタイムの無念さは残るものの、最早“バンコクの苦しさ” を忘れ、楽しい思い出になった、これからは“ワールドマラソンランナー”から“ワールドランナー”と して10キロ、20キロのファンランの世界を走ることで満足できそうという考えになりました。今は今年の ニューヨークかパリの参加をしようかと考えています。勿論フルではありませんが。

最後に私のマラソン挑戦に多大の影響をいただいた方々、横浜マラソンでお世話になった方、フィリッピン の東芝の方のマラソンと付き合う人生、さらに富士通の方の走りの勝負に賭けたあまりにも厳しい人生の 見方は常に私の脳裏を離れず支えとなっておりました。、お忙しい時間に勝手なメールで煩わせたにも かかわらず丁寧な励ましをいただいた皆様には衷心より感謝いたします。

命が、健康が続く限りお一人お一人の世界に挑戦し、“走り続けている”皆様を思い浮かべ、また何処かで お会いできる機会があればと念じております。

健康にはくれぐれも気を付けて頑張ってください。

2008年2月18日
東京マラソンを走った翌日に、

佐藤淑徳
プラチナ アスリート


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